2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
その後、川崎市議、神奈川県議を経て、小選挙区制初の総選挙に神奈川県第十区(川崎市川崎区・幸区・中原区)より出馬、平成八年十月、激戦の中、比例区で初当選を果たしました。 我が選挙区は、今も人口増加が続き、頻繁に住民の移動がある不安定な地盤で、連続八回の当選は、私を温かく受け入れ、育くみ、熱心に支援を続けてくださいました地元の皆様のおかげでございます。
その後、川崎市議、神奈川県議を経て、小選挙区制初の総選挙に神奈川県第十区(川崎市川崎区・幸区・中原区)より出馬、平成八年十月、激戦の中、比例区で初当選を果たしました。 我が選挙区は、今も人口増加が続き、頻繁に住民の移動がある不安定な地盤で、連続八回の当選は、私を温かく受け入れ、育くみ、熱心に支援を続けてくださいました地元の皆様のおかげでございます。
そして、家業に精進する傍ら、郷土の発展に強い情熱を燃やされ、衆望を担って昭和二十二年弱冠三十八歳の若さで公選制初の藍園村長に就任し、二十四年には発足して間もない藍園農協組合長につかれ、自来、板野郡町村会長、徳島県議会議長、全国販売農業協同組合連合会理事などを歴任され、次第にその地位を築かれる一方、幅広い器量は実業家としてもその才腕を存分にふるわれました。